蘇るかレガシーPC Amiga [コモドール]
コロナ渦で、ステーホームを実践していますが、実家にずーと
置きっぱなしにしていた電子機器もそろそろ整理しなければな~と気になっていました。
その中で、Amigaという今はもう、化石の様なPCが在ります。
この、無骨な、重い筐体達を引っ張り出して「火入れ」の準備を始めたところです。
(重い物を動かすのは、体力的にはやっぱり非常にきついのです、
なんでこんな事!でとは思いますが)
置きっぱなしにしていた電子機器もそろそろ整理しなければな~と気になっていました。
その中で、Amigaという今はもう、化石の様なPCが在ります。
この、無骨な、重い筐体達を引っ張り出して「火入れ」の準備を始めたところです。
(重い物を動かすのは、体力的にはやっぱり非常にきついのです、
なんでこんな事!でとは思いますが)
アップルのマッキントッシュはわかる人が多いけど、コモドールの
Amiga(アミーガ)なんて知っている人は皆無でしょうね。
Amiga(アミーガ)なんて知っている人は皆無でしょうね。
もう30年も前の話になってしまいました、当時HyperCard(HyperTalk)が
使いたくて、Macを買おうとしたのですが、なかなか値が張りました。
使いたくて、Macを買おうとしたのですが、なかなか値が張りました。
SE PLUSという小さめのなかなか、おしゃれな筐体をした機種ですが、
60万程した記憶があります。
60万程した記憶があります。
さすがにこりゃ買えないわな~と思っていたところ米国コモドール社
(今はもうありません)からAmigaという、DTV(当時デスクトップビデオといって
コンピュータでビデオ編集する事を言っていた)とかDTM(同じくデスクトップミュージック)って
MIDIとかサンプラーをつないで、使えるPCが販売されているというのを知りまして、
当時、芝浦のマンションの一室を訪れたのを覚えています。
(今はもうありません)からAmigaという、DTV(当時デスクトップビデオといって
コンピュータでビデオ編集する事を言っていた)とかDTM(同じくデスクトップミュージック)って
MIDIとかサンプラーをつないで、使えるPCが販売されているというのを知りまして、
当時、芝浦のマンションの一室を訪れたのを覚えています。
もうありませんが、コンピュータサイエンスジャパンというショップでした。
当時、Amiagaの唯一の情報として、アミーガ パラダイスというAmigaの
魅力を伝える書籍が販売されていました。
著者は、パイナップル68000というショップでここはお茶の水のマンションの一室に
ショップを構えていました。
私は、通勤の途中で立ち寄れる、コンピュータサイエンスジャパンでA2000という
IBMPCみたいに、不格好なごつくて頑丈そうなPCを買ったのでした。
日本ではパソコンと言えばNECのPC8801とかPC9801とかが主流でした。
マイコン系の仕事をし始めたので、NECのPC9801とかは個人でも
購入していました(会社は東芝だったので、dynabookのではなく
まだパソピアというオフコンとPCの中間みたいな機種)
ハードディスクが10MBで20万位した時代です。
実家に封印してから、30年、果たして動くのかどうかは、の「記録」は
今日はエネルギー切れなので、またにします。
その時は、当時で考えても斬新だった、Amigaのハードウェアとソフトウェアに
費やした時間について、記述をしたいと思います