こんな事で!(退院からまもなく70日) [心筋梗塞]
心筋梗塞で入院し、2月28日に退院してから、
まもなく70日が経過します。
普通にしている分にはそれほどでもないのですが
体力が本当に持ちません。
思いもよらぬ事で、焦る事があります。
症状としては、下記1,2が主な症状です。
まもなく70日が経過します。
普通にしている分にはそれほどでもないのですが
体力が本当に持ちません。
思いもよらぬ事で、焦る事があります。
症状としては、下記1,2が主な症状です。
1.足先の冷え
2.突然(急激な)疲労感に襲われる
2.突然(急激な)疲労感に襲われる
1.の足先の冷えは、病院でリハビリなどで体を
動かしていれば、気にならなくなるし、
これから暖かくなれば軽減されるかと思っていますが
2.の突然疲労感に襲われるというのは、困ったものです。
動かしていれば、気にならなくなるし、
これから暖かくなれば軽減されるかと思っていますが
2.の突然疲労感に襲われるというのは、困ったものです。
自分と同じように、心筋梗塞で退院後に、似たような
症状があるという人はそれなりにいたので
なんとか克服できれば良いのですが、参考までに
自分の経験を書いておきます。
症状があるという人はそれなりにいたので
なんとか克服できれば良いのですが、参考までに
自分の経験を書いておきます。
※いずれも、入院前ならなんともなかった作業です。
1.荷物の持ち運び
・書籍を段ボールに詰めて、別の部屋に移動する
重さは、10Kg程度、移動距離は10~20m
回数は4~5回
・書籍を段ボールに詰めて、別の部屋に移動する
重さは、10Kg程度、移動距離は10~20m
回数は4~5回
作業時間は、書籍の整理も含めて2~3時間、
結果は、急に疲労感に襲われ、横になり
2時間ほど休息しました。
結果は、急に疲労感に襲われ、横になり
2時間ほど休息しました。
・デスクトップパソコン、モニターの移動
重さは、10Kg程度、移動距離は10~20m
作業時間は、1~2時間、
結果は、移動時、息が上がってしまった為
(突然、心臓がバクバクしだして慌てました)
休みをとりながら作業を継続した。
疲労感が残り、早くねてしまいました。
重さは、10Kg程度、移動距離は10~20m
作業時間は、1~2時間、
結果は、移動時、息が上がってしまった為
(突然、心臓がバクバクしだして慌てました)
休みをとりながら作業を継続した。
疲労感が残り、早くねてしまいました。
2.同じ姿勢で連続して行う作業
・ネジ、ボルトを締める、緩める作業
力が入るのでしょうね、気がついた時には
心臓がバクバクしてました。
・のこぎりで木を切る作業
どこからか飛んできた木の枝をゴミに
出すために、切らなくてはならず
30分もやっていたら、突然、心臓が
バクバクし出したので休みましたが
全身に疲労感が広がってしまった。
・ネジ、ボルトを締める、緩める作業
力が入るのでしょうね、気がついた時には
心臓がバクバクしてました。
・のこぎりで木を切る作業
どこからか飛んできた木の枝をゴミに
出すために、切らなくてはならず
30分もやっていたら、突然、心臓が
バクバクし出したので休みましたが
全身に疲労感が広がってしまった。
3.下を向いて、かがんで行う作業・動作
・道ばたに落ちている、ゴミをひろい続ける作業
雑草をかがんで抜く作業
・道ばたに落ちている、ゴミをひろい続ける作業
雑草をかがんで抜く作業
・お店の棚の最下段で商品を探す動作
息苦しくなってくる
かがんだ後、立ち上がるとめまいがする。
息苦しくなってくる
かがんだ後、立ち上がるとめまいがする。
4.ラジオ体操でジャンプする動作
上下にジャンプする動作時、血がサーと下がる
感じで、着地時にはバランスが崩れて倒れそうになる。
上下にジャンプする動作時、血がサーと下がる
感じで、着地時にはバランスが崩れて倒れそうになる。
今のところ、こんな感じです。
コロナを除けば、とても良い季節なのに
病院のリハビリも、コロナの影響でセンターが
閉鎖されてしまい、このままだと、何も改善されないなと
思い、エアロバイク(室内の自転車こぎ)を買ってしまいました。
閉鎖されてしまい、このままだと、何も改善されないなと
思い、エアロバイク(室内の自転車こぎ)を買ってしまいました。
これは、また、改めて書いてみます。
蘇るかレガシーPC Amiga [コモドール]
コロナ渦で、ステーホームを実践していますが、実家にずーと
置きっぱなしにしていた電子機器もそろそろ整理しなければな~と気になっていました。
その中で、Amigaという今はもう、化石の様なPCが在ります。
この、無骨な、重い筐体達を引っ張り出して「火入れ」の準備を始めたところです。
(重い物を動かすのは、体力的にはやっぱり非常にきついのです、
なんでこんな事!でとは思いますが)
置きっぱなしにしていた電子機器もそろそろ整理しなければな~と気になっていました。
その中で、Amigaという今はもう、化石の様なPCが在ります。
この、無骨な、重い筐体達を引っ張り出して「火入れ」の準備を始めたところです。
(重い物を動かすのは、体力的にはやっぱり非常にきついのです、
なんでこんな事!でとは思いますが)
アップルのマッキントッシュはわかる人が多いけど、コモドールの
Amiga(アミーガ)なんて知っている人は皆無でしょうね。
Amiga(アミーガ)なんて知っている人は皆無でしょうね。
もう30年も前の話になってしまいました、当時HyperCard(HyperTalk)が
使いたくて、Macを買おうとしたのですが、なかなか値が張りました。
使いたくて、Macを買おうとしたのですが、なかなか値が張りました。
SE PLUSという小さめのなかなか、おしゃれな筐体をした機種ですが、
60万程した記憶があります。
60万程した記憶があります。
さすがにこりゃ買えないわな~と思っていたところ米国コモドール社
(今はもうありません)からAmigaという、DTV(当時デスクトップビデオといって
コンピュータでビデオ編集する事を言っていた)とかDTM(同じくデスクトップミュージック)って
MIDIとかサンプラーをつないで、使えるPCが販売されているというのを知りまして、
当時、芝浦のマンションの一室を訪れたのを覚えています。
(今はもうありません)からAmigaという、DTV(当時デスクトップビデオといって
コンピュータでビデオ編集する事を言っていた)とかDTM(同じくデスクトップミュージック)って
MIDIとかサンプラーをつないで、使えるPCが販売されているというのを知りまして、
当時、芝浦のマンションの一室を訪れたのを覚えています。
もうありませんが、コンピュータサイエンスジャパンというショップでした。
当時、Amiagaの唯一の情報として、アミーガ パラダイスというAmigaの
魅力を伝える書籍が販売されていました。
著者は、パイナップル68000というショップでここはお茶の水のマンションの一室に
ショップを構えていました。
私は、通勤の途中で立ち寄れる、コンピュータサイエンスジャパンでA2000という
IBMPCみたいに、不格好なごつくて頑丈そうなPCを買ったのでした。
日本ではパソコンと言えばNECのPC8801とかPC9801とかが主流でした。
マイコン系の仕事をし始めたので、NECのPC9801とかは個人でも
購入していました(会社は東芝だったので、dynabookのではなく
まだパソピアというオフコンとPCの中間みたいな機種)
ハードディスクが10MBで20万位した時代です。
実家に封印してから、30年、果たして動くのかどうかは、の「記録」は
今日はエネルギー切れなので、またにします。
その時は、当時で考えても斬新だった、Amigaのハードウェアとソフトウェアに
費やした時間について、記述をしたいと思います